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ルノワールの官能

2016年11月26日

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」で有名なルノワール(ピエール=オーギュスト・ルノワール)は、印象派で知られる、フランス(1841-1919)を代表する画家のひとりです。
女性的といわれる流動的で自由な筆勢と多様な色彩、豊潤で官能的な裸婦の表現や描写など、特徴的な表現で多くの作品を残しました。

ルノワールの作品を並べてみると複数の官能的な裸婦の絵画が目立ちます。彼を取り巻く女性と女性モデル達を簡単に紹介します。

25才のとき、ルノワールは友人の画家「ジュール・ル・クール」の恋人「クレマンス・トレオ」の妹である「リーズ・トレオ(17)」に出会い交際を開始し、30才で破局しました。

32才のとき、今度はジュール・ル・クールの姪、マリー・ル・クール(16)ラブレターを送りましたが、それがバレてル・クール家と縁を絶たれてしまいます。

1874年(ルノワール33才)、印象派展の第1回展でアンリエット・アンリオ(と思われる女性)をモデルにした「踊り子」を出品。

34才でモンマルトルに家を借りた直後、アンナ・アルマ・アンリエット・ルブーフ(19)(マルゴ)と知り合い交際を開始し、1876年(ルノワール35才)、第2回印象派展にマルゴをモデルにした「陽光を浴びる裸婦」などを出品しました。
同年、舞台女優であったアンリエット・アンリオ(19)をモデルにした「アンリオ夫人」を制作しています。(アンリオは21歳で私生児を出産し生涯独身でした。)

36才、女優ジャンヌ・サマリー(20)が住むアパートに通いつづけて制作。

ルノワールが38才のときにマルゴが病死します。
同年、パリでアリーヌ・ヴィクトリーヌ・シャリゴ(19)と知り合い、交際を開始。

1883年(ルノワール42才)に発表した「ダンス3部作」のモデル、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(18)は彼の愛人だったと言われています。(同年12月に彼女は一児を出産しましたが、父親の名は生涯明かすことはありませんでした。)

44才でアリーヌとの間に子が生まれ(長男)、49才でアリーヌと正式に結婚、53才で次男が誕生しています。
次男が生まれた年、アリーヌの従姉妹のガブリエル・ルナール(16)を家に迎え、ルノワールのお気に入りのモデルとして20年間同居していました。

76才、最後のモデル、カトリーヌ・エスラン(17)と出会い、78才でこの世を去りました。

ルノワールの展示会では、たくさんの女性モデルと彼との関係を明記されていませんが、ルノワールが残した有名な絵画達が彼の女性遍歴を暗示させる表現もあります。

「もし婦人の乳房と尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない」
「風景ならその中を散歩したくなるような、女性ならその人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい」
「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか」
こんな言葉を残すルノワールですから、まんざら噂だけではないかもしれませんね。

絵画展ではマナーを守る範囲で、愉しみ方(観賞の仕方)は人それぞれ。あまり芸術に興味がないという人も、彼の展示会では彼の絵画と女性遍歴を照らし合わせて観賞すると、1人の画家の生涯が見えてくるでしょう。
現在では多くの女性と関係を持つことはあまり良い印象を与えませんが、ルノワールが生涯元気であったことは間違いないようですね。
描きたい絵を自由に描きながら画家として成功し、たくさんの女性との間で夢を見られた…
あるいは、男性から見ると羨ましい人生かもしれません。

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